物語とは多かれ少なかれ寓意を含むものである しかし『壁』はあらゆるメタファーを退けるが如くに、冷たく固く透明で滑らかで 何も語ろうとはしない 世界の大部分が死に絶えた時 生き残る、というよりも 死なないために、 彼女はサバイバーになった 何らかの比喩だろうとか、社会批判などといった安易な憶測は本作の前では虚しい 唯一無二のオリジナリティ こんな作品を自分も書きたいとか、書けるかもとか、そんな気持ちを全く起こさないだろう 女性にしか書けない もちろん「彼女にしか書けない」 そんな小説 マルレーン・ハウスホーファーはオーストリアの女性作家 本作は1963年に発表された 戦後のオーストリア、という事はナチスの影響も記憶も鮮明なはず しかし本作にはそういった時代や社会性を色濃く反映してはいない それ故に当時は寧ろ難解で理解し難い作品と思われていたそうだ とんでもない❗️ 人間性を深く見つめた哲学的な、しかしごくプライベートな領域に踏み込んだ私小説的な告白のようなほぼ日記のような内容 それでいて心を掴まれる、この感じは何だろう? 確かに現代の方が正しく理解できる小説ではないかと考える 有害な男性性(Toxic Masculinity)という概念も言葉も当時は存在しなかった。 しかし本作には無意識にしても男性性(生物学的性別とは限らない)への冷めた目線がある この絶望的な世界の中にいてなお、階級や金銭的な優位を捨てられないのはやはり男だ この小説は決して声高い主張はしていない しかし、ここだけは、心からのメッセージだと思われた文がある 「時々わたしは、心にかかるものが何一つ存在しないような時期が楽しみになる。なにもかも、結局はわたしから奪い取られるのに飽き飽きしている。」「一人の子どもを育て上げるのには二十年かかるが、殺すには十秒だ」 戦争を知っている人間の言葉として受け止めるなら、これは理念ではなく実感である 日々、ただ生きることに向き合って 欲も執着も見栄も捨て それでいて愛する事を止めることはできない彼女 その姿には女性ならではの自己完結を観た気がする 私は彼女のようではない しかし彼女のような女性が彼女のような生き方になるのには、全く異議を挟む余地はない 根底に流れる思想に共感できるから いかにも現実社会的男性的な価値観で描かれている『ロビンソン・クルーソー』とは全く異なる キリスト教も祈りも経済も冒険も出てこない 結局それらは男の「発明」なのだ ロビンソンが社会学的であり、冒険物語でもあるのとは異なり、彼女は自分と身の回りにいて面倒をみなければならないと(自分に責任があると)感じる動物達に集中する リアルな命の営みと空や星、森や野獣たち、季節の移ろいと風に雨雪太陽 労働の合間に訪れる、それらと繋がっていると心から思える満ち足りた瞬間 考えることをやめることができない人間の宿命 描かれているのはただただそれだけだ ファンタジーでもスーパーウーマンでもない ここでは彼女は文明の利器を使用することができる 住むべき小屋やランプや猟銃と弾薬最低限の農機具 これらがなければどんなに生き抜こうという意思があろうと、無理なものは無理だ 身体能力にも限界がある ごく一般的な中年女性が疲れも知らずに働き続けることはできない 足の痛みや全身疲労や怪我や病気も日常で、現実的すぎるほど現実的だ 『ロビンソン・クルーソー』より、アンディ・ウイアーの『火星の人』の方が近いだろう しかし決定的に異なるのは 「脱出ゲームではない」という点だ サバイバル物語は最後には救出されて上がりだ しかしこの物語では初めから救出がないことがわかっている 南海の小島に取り残されたのではなく壁の向こうの世界の生命が(植物を除いて)滅ぼされてしまったのだから この世界に他の誰かが生き残っている保証がないのだ 冒頭でこの書き物は「壁」の出現した過去のその日から現時点までを振り返った手記であると宣言されている 途中で何度も彼女だけが知っている「物語の最後のページ」に言及される 紙とペンがなくなった時がこの小説の終わりであり、物語は断絶する その先の暮らしがどうなっていくのかは、私たちも彼女さえも知る由もない まさしく我々人類の未来も、ではないか
元の読書記録を見る壁の感想・レビュー
マルレーン・ハウスホーファー/諏訪功
同学社
ISBN: 9784810201161
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