新潮社の太宰治の『ヴィヨンの妻』。最晩年の作品群です。太宰治の作品はいろんな出版社から出されているのですが、落ち着きのある体裁の新潮社を選んでみました。 「親友交歓」 昭和21年9月初め、疎開先の津軽で静かに過ごしていた「私」のもとへ、突然、小学校時代の同級生・平田と名乗る男が訪れてきます。顔にかすかな記憶はあったものの、ほとんど面識のない相手でした。 平田は小学校の「クラス会」開催の相談と称して、酒や金を要求します。最初は好意的に迎え入れた「私」ですが、平田の傍若無人な振る舞い、軽薄な自慢話、不愉快な態度に徐々に苛立ちを覚えていきます。 何時間も酒を飲み、妻にも無遠慮にちょっかいをかける平田の振る舞いに、「私」は我慢を重ねつつも心の中で軽蔑と呆れが募ります。 ようやく帰る気配が見えると、「私」は最後のウイスキーを差し出し、平田を見送るはめになります。玄関先で平田は耳元でこう囁きます。「威張るな!」 「トカトントン」 「私」は26歳の青年で、青森県の花屋の次男として生まれ、中学卒業後は横浜の軍需工場で事務を3年間、その後軍隊に4年間所属。敗戦を迎え、故郷・青森に戻り、祖父が局長を務める郵便局で働きながら日々を過ごしています。 ある日、「私は」を取り巻く世界に変化が起きます。兵舎で玉音放送を聞き、戦争終結という現実と直面した瞬間、「トカトントン」という「金槌で釘を打つような音」がどこからともなく響いてきます。その音を耳にした途端、彼の胸に迫っていた生きる緊張や感情がすっと消え、すべてが白々しく感じられるようになります。 それ以来、彼は何かに熱狂しようとする度に、同じ「トカトントン」の音が聞こえてきてしまいます。小説を書こうと原稿を執筆していたときも、仕事に打ち込もうとしたときも、恋愛に胸をときめかそうとしたときも、音が響けば途端にすべてがどうでもよくなり、熱意が一気に失われてしまいます。 例えば仕事中は、郵便局での円貨切り替えの多忙さに全力を傾け、 “半狂乱のように”働き続ける集中力を発揮するものの、まさにそのピークの瞬間に「トカトントン」が聞こえ、翌日は何もかもが急にどうでもよくなってしまいます。 また、片思いの女性・花江さん(小さな旅館の女中)との触れ合いでさえ感情が昂まる直前に「トカトントン」が響き、たちまち気持ちが冷めてしまいます。このように、人生のあらゆる場面で彼の熱意は音に打ち消されてしまうのです。 そこで「私」は、自分をよく理解している存在、「無学無思想の作家」として尊敬する人物に宛てて手紙を書き、相談をします。この手紙の中で、幻聴のような「トカトントン」について訴えます。 その作家からの返事は次のようでした。 「真の思想は智恵より勇気を必要とするものです。マタイ10章28、『身を殺しても霊魂を殺せぬ者を恐れるな』この言葉に霹靂(へきれき)を感じることができれば、君の幻聴はやむはずです。」 「父」 語り手は旧約聖書のアブラハムとイサクの話を取りあげます。アブラハムは神への信仰(“義”)のために息子を犠牲にしようとしたが、直前で止められたという出来事です。語り手はこれを通して、「義」のもつ過酷さに思いを馳せます。 次いで、日本の伝承にある佐倉宗五郎(宗吾郎)が、渡し舟で子どもと別れる場面を回想します。涙を堪えながら渡し場を離れていく宗吾郎の姿は、「義」と「慈しみ」が交差する瞬間として、語り手の心に深く刻まれています。 その後、語り手は自身の経験と重ねて語ります。幸福の予感は裏切られるのに、不快な予感ばかり当たる、と。 39歳になった私は遊びをやめられません。地獄のようなやけ酒と、恐ろしい女たちとの浮気です。 べらぼうに金をかけて、家族に迷惑をかけています。どうしても炉鍋の幸福が怖くてたまらない。父はどこかで義のために遊んでいます。地獄の思いで遊んでいます。戦果のあと苦しい生活の中でさらに子供が生まれるというのに。 前田さんという女性が訪ねてきます。そして遊びにいきます。おでん屋に飲みに行き、今度は前田さんのアパートに飲みにいきます。友人たちと前田さんのアパートで飲む中で、こたつに潜り込んで寝て、帰ろうとしません。 日々の生活の中で繰り返される別れや失敗は、まるで宗吾郎と同じように、「義」によって縛られているかのようだ――と自嘲的に振り返ります。 「母」 語り手は終戦後、津軽の生家で約1年3ヶ月間疎開生活を送っていましたが、ほとんど家に閉じこもっていました。友人の小川くんの招待で、ようやく小旅行として津軽半島の港町に出かけ、ある旅館に一泊する機会を得ました。どうも女中が客を取っていることに語り手は気づきました。そこで、夜中に隣室から漏れ聞こえてきた男女の会話を聞いてしまいます。 隣室で話していたのは、戦争から帰還したばかりの若い兵士と、その宿の女中でした。主人公は思わず聞き耳を立ててしまいました。そして女中が「お母さんは、いくつ?」と尋ねたとき、兵士が「三十八です」と答える声を耳にします。女中はその年齢が自分の年齢と重なり、一瞬ショックを受けたことに語り手は気づきました。 翌朝、主人公はこの出来事を小川くんに伝えて彼を狼狽させるつもりでしたが、結局やめてしまいます。そして静かにこうつぶやきます。「日本の宿屋は、いいですね」「うむ。しずかだ」と。 「ヴィヨンの妻」 戦後間もない東京で、若い妻「私(さっちゃん)」は、放蕩癖と借金癖を持つ詩人の夫・大谷、そして病弱な幼い息子と共に、貧しく不安定な暮らしを送っていました。大谷は酒や女に溺れ、家にはほとんど寄りつかず、時折戻ってきては金をせびり、また出ていきます。 ある晩、近所の小料理屋「椿屋」の夫婦が訪ねてきました。大谷と一悶着を起こしたとのことです。大谷が店の金を持ち逃げしたというのです。 さっちゃんは翌日、「必ず返しますから、それまで私を働かせてください」と申し出て、料理屋の手伝いを始めました。皿洗いや配膳をしながら、彼女は客たちの様子を観察しました。酒を飲み、愚痴をこぼす男たちの顔には、それぞれ何らかの罪や影があるように見えました。自分もまた、その一人だと感じていました。 数日後、クリスマスの夜に夫がふらりと現れ、豪遊してきた様子のまま椿屋に金を返し、また姿を消しました。さっちゃんはそのまま働き続け、椿屋の看板女中となりました。 時には椿屋を訪ねてきた大谷と共に家に帰ります。大谷は女には幸福も不幸もないと言います。男には不幸だけがあると言い、いつも恐怖と戦っていると語りました。 ある夜、終電を逃した客を泊め、酔いと成り行きのまま関係を持ってしまいました。しかし、さっちゃんは翌朝は何事もなかったように店に立ち続けました。 やがて、夫の記事が新聞に載りました。そこには「人非人」という文字が踊っていました。夫はその記事を見て弁解しました。妻はそれに答えるように、「人非人でもいいじゃないですか。私たちは、生きていさえすればいいのですよ」と静かに言いました。 「おさん」 物語の主人公は戦後の混乱した時代に生きる女性。彼女は夫と結婚し、共に生活していました。しかし、いつも夫は音もなく家から出て愛人の家に行きます。娘のマサコには、いつも夫の出かける理由について嘘をついています。 夫は雑誌社で働いていましたが、戦後職を転々とすることになります。家庭は戦禍の中でほぼ全てを失い、崩れかけた家を補修して使っていました。 夫は戦前は優しい人でありましたが戦後は人が変わったように心が家庭になくなります。いっそ発狂してしまった方が楽だと言います。ある時、家を出て「温泉に行ってくる」と告げて出かけますが、その後、長野県の諏訪湖で心中を遂げます。妻は夫の死を知り、子供を連れて呆れ返ったような気持ちで、死骸を受け取りに行きます。 「家庭の幸福」 家庭を顧みずいつも外で遊んでいる語り手。ある日家に帰ると、妻が子供のためにラジオを買ってきていました。ケチな語り手は、文句を言いつつラジオに夢中になります。 ある日ラジオでは、政府の官僚と民衆が意見を交わす番組が放送されており、語り手は官僚の要領を得ない態度に憤りを感じます。そして官僚の人柄を夢想します。 彼の夢想の中で、官僚は東京都の町役場で戸籍係として働く主人公・津島修二(太宰の本名)です。彼は必死に家族のために働く官僚。彼は常に家族のため必死に働き、壊れたラジオも手配していました。そのラジオが家に届く夜、出産届けを持参した女性が津島に受理をお願いするも、彼は急いで帰宅したいためその手続きを断ります。その女性はその後、自ら命を絶ちますが、津島はそのことを知らず、家族と共にラジオを楽しむことに没頭します。 語り手は、自分の夢想から「家庭の幸福は諸悪の本」と結論づけます。 「桜桃」 主人公「私」は小説家で、妻と3人の子どもと暮らしています。家庭では冗談ばかり言い、育児も家事もすべて妻任せです。執筆も進まず、家庭の外に「女友達」がいます。妻にはどこに汗をよくかくかと聞くと、乳と乳の間の涙汗と答えられます。長男には知的障害があると示唆されており、夫婦はその事実に向き合えず、話題にすることすら避けています。 ある日、妻との夜の子供の番をどちらがするかという口論がきっかけで、主人公は家を飛び出します。妻は病気の妹を見舞う予定で、主人公が子どもの世話をするはずでしたが、それを放棄して逃げます。彼は原稿料の入った封筒を持ち、馴染みの酒場へ向かいます。 酒場で「女友達」に桜桃(さくらんぼ)を出されます。主人公は「子供は桜桃なんて見たこともないだろう」と思いながら、まずそうに食べては種を吐き出します。その行為は、子どもへの罪悪感と自己嫌悪を象徴しているようです。 そして心の中で虚勢のように呟く──「子供より親が大事」。 桜桃を雑誌『新潮』に発表した1カ月、太宰治は愛人山崎富栄と玉川上水で心中します。桜桃は遺書のような読まれ方をすることが多い作品です。 太宰治を読んでいると悲しくなります。 その衝動性、強烈な感情、逃避、そして自己破滅的な行動。「幸福や安定を維持する」より「壊れること」を選択してしまう人生。 誰もここから逃げ出したい、愛人と旅に出かけたいと思うことはあると思いますが、それを極端に赤裸々に実行してしまう弱さに、逆に圧倒されます。なんて物語的な人生を生きた作家なんだろう、と。
元の読書記録を見るヴィヨンの妻改版の感想・レビュー
太宰治
新潮社
ISBN: 9784101006031
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