現代思想入門
千葉 雅也
講談社
2022年03月16日頃
概要
《「新書大賞2023」大賞受賞!!》 人生を変える哲学が、ここにあるーー。 現代思想の真髄をかつてない仕方で書き尽くした、究極の「入門書」 ■デリダ、ドゥルーズ、フーコー、ラカン、メイヤスー…… 最高峰の哲学者たちの「考えていること」が面白いほどよくわかる! ■「物事を二項対立で捉えない」「すべての仕事を“ついで”にやる」…… 哲学とライフハックがダイレクトにつながる! ■きちんとしすぎる窮屈な管理社会…… 秩序からの逸脱を肯定する言葉に励まされる! 「本書は、「こうでなければならない」という枠から外れていくエネルギーを自分に感じ、それゆえこの世界において孤独を感じている人たちに、それを芸術的に展開してみよう、と励ますために書かれたのでしょう。」 --「おわりに 秩序と逸脱」より [本書の内容] はじめに 今なぜ現代思想か 第一章 デリダーー概念の脱構築 第二章 ドゥルーズーー存在の脱構築 第三章 フーコーーー社会の脱構築 ここまでのまとめ 第四章 現代思想の源流ーーニーチェ、フロイト、マルクス 第五章 精神分析と現代思想ーーラカン、ルジャンドル 第六章 現代思想のつくり方 第七章 ポスト・ポスト構造主義 付録 現代思想の読み方 おわりに 秩序と逸脱 はじめに 今なぜ現代思想か 第一章 デリダーー概念の脱構築 第二章 ドゥルーズーー存在の脱構築 第三章 フーコーーー社会の脱構築 ここまでのまとめ 第四章 現代思想の源流ーーニーチェ、フロイト、マルクス 第五章 精神分析と現代思想ーーラカン、ルジャンドル 第六章 現代思想のつくり方 第七章 ポスト・ポスト構造主義 付録 現代思想の読み方 おわりに 秩序と逸脱
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メモ
【目的】 哲学について学びたかったため入門書として選書。新書大賞をとっていることや帯の言葉に惹かれた。 近代哲学者についてもまとめてあるようなので、その辺りを復習していきたい。 【コメント】 二項対立はゼミで考える機会があったが、明確に哲学に寄せて考えるとまた、、、 疑いを持って欲しいというメッセージを感じる 哲学用語は、日本語訳の仕方に問題があるように思う。脱構築論とかではなく、対立論や二分論などと表した方が幾分か理解されやすいように思う。現代はともかく、当時は…
【目的】 哲学について学びたかったため入門書として選書。新書大賞をとっていることや帯の言葉に惹かれた。 近代哲学者についてもまとめてあるようなので、その辺りを復習していきたい。 【コメント】 二項対立はゼミで考える機会があったが、明確に哲学に寄せて考えるとまた、、、 疑いを持って欲しいというメッセージを感じる 哲学用語は、日本語訳の仕方に問題があるように思う。脱構築論とかではなく、対立論や二分論などと表した方が幾分か理解されやすいように思う。現代はともかく、当時は排他的だなあと感じる。 デリダは可能性を生む哲学だなあと思う 無駄なことを書いてない、読み応えのある本 哲学は具体/抽象を行き来する力が求められる 123.子どもの生育から見るに、人は根源的にはマゾヒスティックということ?スリルに快を覚えているから、ホラーなどを見てしまうのかもしれない。 ○はじめに なぜ今現代思想か 8.「現代思想」とは、1960年代から90年代を中心に、主にフランスで展開された「ポスト構造主義」の哲学を指しています。 現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。(リアリティを高い解像度で捉えられるようになる) 人生の多様化を守るために(現代思想が)必要だと思うのです。(現代の「きちんとする」は逸脱を取り締まる秩序化。それを甘んじず、「差異」への注目をしようとするのが現代思想) 11.デジタル・ネイティブの世代からすると、逸脱をポジティブに考えるというのは違和感があるかもしれません。 秩序をつくる思想はそれはそれで必要です。しかし他方で、秩序から逃れる思想も必要だというダブルシステムで考えてもらいたいのです。 12.他者が自分の管理欲望を撹乱する(飼い猫や植物、他人など自分のコントロール外にいる存在)ことに、むしろ人は安らぎを見出す。ここが逆説的なのです。全てを管理しようとすればするほど、わずかな逸脱可能性が気になって不安に駆られるのです。むしろ秩序の撹乱を拒止しないことで不安は鎮まっていく。 (恋愛や結婚は、秩序の確立ではなく、撹乱要因の確保と言える) 16.大まかに言って、近代は、民主化が進み、機械化が進み、古い習慣が捨てられてより自由に生きられるようになり、「人間は進歩していくんだ」とみんなが信じている時代です。 /その後/資本主義が発展していくなかで、価値観が多様化し、共通の理想が失われたのではないか、というのがポストモダンの段階です。 [相対主義=ポストモダン=現代思想] 相対主義は、何でもありになる。 (構造主義は物事にパターンがあるという立場。ポスト構造主義はそのパターンが変化、逸脱しうるという立場) 19.本書を通じて、読者の皆さんには「脱構築的(deconstruction)な考え方を身につけてもらうことになります。 (→脱構築の思考とは、良し悪しはともかく二項対立においてみること。その二項の線引きは不安定で、その揺らぎに着目した思考のこと) ❶デリダ- 概念の脱構築 二項対立の脱構築という思考法を打ち出した哲学者 27.ポスト構造主義=現代思想とは「差異の哲学」である (デリダの脱構築は連続的なもので、脱構築と仮固定を繰り返している。) 29.同一性は絶対でないというマインドを持つことが大事なのです。 (常識、定義などは確定的なものではなく、変化や差違を孕んでいる) 32.(二項対立において)マイナスの側に置かれているものをマイナスと捉えるのは本当に絶対だろうか?という疑問を向けるのが脱構築の基本的発想です。 33.二項対立を脱構築する第三項を「パルコマン的なもの」と呼ぶ (「パルコマン」とはギリシア語で薬、毒の両義性を持つ言葉) 34.本質(常識だと思われていたもの)を崩すことによって、世の中をより開放的にすることができるのです。 (実際にマイナスを再評価するというデリダ的発想によってジェンダーや地域格差が話されるようになった) ○プラスの項 本質、本物、オリジナル、直接的、現前性 パロール[話し言葉]、自然、重要、違い ○マイナスの項 非本質、偽物、フェイク、間接的、再現前 エクリチュール[書き言葉]人工、不要、遠い 39.自然は人間の予想を裏切ることがしばしばで(自然災害など)、/だから我々は自然の猛威をコントロールすることで安心を得ると同時に/色鮮やかな生き物が岩場の影から出現するのに驚いたりすることで、生の輝きを回復しようとする。 (リアリティは、二項対立上のどっちつかずなところにある) 40.我々は決断を繰り返しながら、未練の泡立ち(選ばなかった選択、他者性への配慮)に別の機会にどう応えるかということを考え続ける必要があるのです。 脱構築的に物事を見ることで、偏った決断をしなくて済むようになるのではなく、我々は偏った決断をつねにせざるおえないのだけど、/他者性への未練が伴っているのだということに意識を向けよう、ということになる。/そうした意識を持つ人には優しさがある 41.未練込みでの決断を成すものこそ「大人」 (デリダやレヴィナスの思想は、人間が、本質的には無意識的思考による本能で動いていることを暗黙の前提にしている。思考<行動) (差違や他者性は存在する→しかし決断や同一化もせざるおえない→両者が拮抗する中で生きていくしかない。その論理的で慈悲深い思考ができる人が大人なのだろう) ❷ドゥルーズ- 存在の脱構築 45.固定的な秩序から逃れ、より自由な外部で新たな関係性を広げていくこと、自分の殻を破って飛び出していくこと──を励ますメッセージを発した哲学者 [1980年代に日本でも普及。当時日本はバブル期で、それまでの資本家と労働者という二項対立(秩序)は崩壊し、その自由さがドゥルーズとマッチしていた。] [90年代、バブル崩壊と共に、ドゥルーズのブームも収まり、デリダ的思考へと移行] 46.その後、インターネットの普及によって、時代は再びドゥールーズ的になっていきます。 ドゥルーズ(80s,00s): 楽観的な外部進出 デリダ(90s): ジレンマ的な外部への気づき レヴィナス(90s): 論理や正義 46.言ってみれば90年代の思想は辛気臭くさくなったのです。 48.(ドゥルーズのキーワードは「差違」) (同一性は二次的なもので、差違から一時的に生まれる) 【アクチュアル[現働的]】 (現実的な、無数の個体が単一として存在しているような次元。) 【ヴァーチャル[潜在的]】 (アクチュアルの背景で蠢いている諸々の関係性の次元。人と自転車のように、意識的に見れば、複雑に絡まっている次元。) (ドゥルーズはヴァーチャルを支持しており、モノの単一性を見直し、各事象の接続可能性を捉えようとするのが「存在の脱構築」の核心) 52.全ての同一性(定義付け)は仮固定である (一般的に言う「差違」はAという同一性とBという同一性の間の違いを指すが、ドゥルーズは、そもそもA,Bそれぞれの同一性が一定でなく変動性を持っており、そのダイナミズムを「差違」と呼んでいる。) 52.(一人の人間の同一性も)生命プロセスのさまざまなバランス(細胞や細菌などいろいろ)によって一定の姿かたちをかろうじて維持しています。 (リアルにものを考えるとは、全ての事象は、完全に固定されることはなく、時間的に運動、変化のなかにあるというふうに考えること) 【生成変化】becoming 何かに「なる」という意味 あらゆる事物は、異なる状態に「なる」途中。事物は時間的であり、変化するため、一人の人間もピラミッドも家も植物も「出来事」である 54.全ては生成変化の途中である (仕事も「出来事」であり明確な始まりと終わりがない。あるのはプロセスという物事の流れだけ。やる気が出ないのは、その流れに、自分という「出来事」つまり流れの波長を合わせられていないから。シームレスに、机に座る、パソコンを広げる、と徐々にプロセスの方向性を合わせていくことで、仕事に入っていける。) ↓ (アクチュアル的に、自分と仕事は個別のものであるがヴァーチャル的に見ると、自分と仕事が徐々に波長を合わせて同化していっていることがわかる。) 56.動物は本能的に取れる行動のバリエーションがかなり定まっていて (一方人間は脳神経の過剰な発達により、 本能<自意識となっており、自由度が高すぎるが故にその自由に何らかの制約を加えないと、不安を感じてしまう。) だから、自己啓発的なアドバイスには、人間にある種の決めつけを提供することで安心させるものが多い /ところがそれは長く効力を持たない (自己啓発も精神分析も、決め付けをすることで、自己の安定化をはかっている。ドゥルーズ+ガタリはこれを批判。外部からのモデルに自分を矯正するのではなく、多様な関係のなかで活動し、準安定状態[仮固定]を目指すべきという立場) (ただし、これは大変難しく、そもそも「本当の自分の在り方」を探究することに執着せず、その過程を、様々なことに挑戦する日常を楽しめば良い、という楽観的で優しさ溢れる思想) (人の繋がりは必要だし、ヴァーチャル的に考えると自然に起こっている事だけど、関係しているから責任を取らなければいけないということはなく、ヴァーチャルは変動的でもっと自由で、ラフに望んでいいと気付くべき。人と人とが「関わりすぎない」けど繋がっていることで、温かい社会が目指せる。) 63.ドゥルーズによれば、コミュニケーションは金銭に毒され、腐りきっている。そしてむしろ必要なのは「非=コミュニケーションの空洞」や「断続器」だと言うのです。 (例えば、SNS。我々は言論の自由を得たが、それはメディアの活動によってコントロールされている。商売の一環として利用されている。金銭[商売]に毒されたコミュニケーションに巻き込まれず、理性的に社会と向き合うために、非コミュニケーションが必要。) (リゾームの思想[物事のヨコへの拡張性]と非コミュニケーション志向は矛盾しているようだが、結局はこの2点のバランスが大切。人と関わる中で、あるときは関係性を広げ、あるときは関係性を抑制する。これはケースバイケースで、一人の人間に対しての行動が、愛になり支配にならないというバランスを見つける必要がある。それが、ヒトやモノ全ての存在者に真剣に向き合うということ。) ❸フーコー- 社会の脱構築 73.正常と異常がはっきり区別されないで、曖昧に互いに対して寛容であるような状態をよしとするような、そういう価値観 67.脱構築とは「二項対立を揺さぶる」ことですが、それが社会においてどういう問題になるのか。フーコーは、「権力」の分析を展開しました。 68.権力とは「無数の力関係」なのです (ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅰ 知への意識』p119) (権力は政治家と国民、悪と正義の二項対立で考えられがちだが、フーコーはそれを揺さぶる[脱構築する]。) 67.支配を受けている我々は、実はただ受け身なのではなく、むしろ「支配されることを積極的に望んでしまう」ような構造がある 68.権力は、上から押しつけられるだけではなく、下からそれを支える構造もあって、本当の悪玉を見つけるという発想自体が間違いなんです。 71.「正常なもの」というのは基本的には多数派、マジョリティのことであって、社会で中心的な位置を占めているものです。それに対して、厄介なもの、邪魔なものが「異常」だと取りまとめられるのです。 72.マジョリティとは異質な人をマイナスに見る価値観が前提になっている 72.こういうクリーン化(刑務所や病院のような狂気の隔離)こそ、まさに近代化と言うべきものです。 76.昔は王様の強烈な存在感が重要だったわけですが、近代社会のポイントは、支配者が不可視化されるということです。そして逆に、人々はつねに監視されているかもしれないという不安を抱くことになる。 77.な「孤立性」が、たとえ自由の身でも、近代的な精神のあり方として成立していくということです。どこかで見られているかもしれないからちゃんとしなければならないという「個人」の心がけが成立するのです。 78.これが個人的な心の発生だとも言えます。 (近代の人間は、パノプティコンのような「孤立性」が個人に適応され、他者による監視を自己的に創造し、自身で自身の行動に抑制をかける術を身につけた)→個人的な心 (近代における自己抑制[自己統治]する心が成立する以前は、人々は良くも悪くも行動的だったと考えられる。) 79.生政治(bio-politics)は内面の問題ではなく、もっと即物的なレベルで機能するものです。(病気の発生率をどう抑えるか、出生率をどうするか、人口密度をどうするかなどを考え都心設計する)そうしたレベルで人々に働きかける統治のしかたです。 (コロナ禍なら、「外出自粛してください」が規律訓練的な政治。「そうは言っても守らない人もいるから、ワクチンで悪化を止めよう」が生政治) (生政治は、たくさんの「ヒト」という歯車で回っている社会という生き物を死なないようにするための政治) 80.近現代社会においては、規律訓練と生政治が両輪で動いている (特に今日では、個人の心持ちにアプローチ[規律訓練]しても効果が薄いため、即物的にコントロールする[生政治]の部分が強くなっている) (タバコも、健康に悪いと呼びかけても[規律訓練]効果が薄いため、喫煙所を減らしたり、タバコ税をかけたり、即物的働きかけ[生政治]がなされる) (では自由とは何か。規律訓練や生政治がなくなれば良いかと言われればそうではなく、雑多な人々が共に生きる「社会」を調整するために必要。) (人間は本能的行動をはみ出した、逸脱が可能だが、それを個人でも政治でも制限し、人間の行動パターンを減らすことで、安心安全な社会を築こうとしている) 81.社会のクリーン化(マジョリティから外れた逸脱を忌避し、政治的権力で修正しようとすること)は、人間の再動物化という面を持っているのです。 81.多様性を整理しすぎずに、つまりちゃんとしすぎずに泳がせておくような社会の余裕(これが、クリエイティブや人間の成長を生む) ❹現代思想の源流 [ニーチェ,フロイト,マルクス] 19世紀、近代思想の先駆者たち。秩序の外部、あるいは非理性的なものを扱った人物 92.現代思想は権威的な秩序を批判し、外部に逃げ出し逸脱することをクリエイティブだとする大きな傾向があります。/ それまでは基本的に、知の課題とはいかに世界を理性的な秩序にきちんと捕捉するかだった。しかし、むしろ非理性的なものの側に真の問題があるという方向転換がなされるのです。その代表者がニーチェであり、フロイトであり、そしてある意味でマルクスなのだということです。 ○ニーチェ- ディオニュソスとアポロンの拮抗 ・古代ギリシア神 ディオニュソス: 混沌、闇、悪、無意識、偶然 アポロン: 秩序、光、善、意識、必然 (この二項対立の甲乙つけるのではなく、その拮抗にドラマを見る。これを形式化したのがニーチェ) 97.生を苦であるとする悲観主義、だがそれを通してこそ生が改めて肯定される、という逆説がショーペンハウアーの魅力です──、それに対してニーチェの場合は、もっと明るい方向で、「盲目的な意志」をクリエイティブなものとして捉え、力が次々に変形されて何かを実現していくといった世界観になるのです。わけのわからないエネルギーに衝き動かされて何かすごいものをつくってしまう、という今でもポピュラーなアーティスト像が、シャーペンハウアーからニーチェへの引き継ぎによって成立することになります。 ○フロイト- 無意識 (精神分析/無意識概念の発明者) 100.精神分析の実践とは、自分のなかのコントロールから逃れるような欲望のあり方を発見していくことです。 (無意識を言語化するということ。この作業は自身のコントロールが完璧でないことを自認する作業であり、反発する人も出てくる。これを精神分析の用語で[抵抗]という。) (精神分析の価値は、無意識を自認すること自体が目的ではなく、自認する中で自分に変化をもたらしていくことにある) 104.ディオニュソス的なものとは抑圧された無意識であり、それは物語的意味の下でうごめいているリズミカルな出来事の群れだということです。それが、下部構造なのです。 109.ディオニュソス的なもの(ニーチェ)、盲目的な意思(ショーペンハウアー)、無意識(フロイト)といった近代的概念は、人間自身が内に含むようになったその闇[下部構造]の別名なのだ ○マルクス- 力と経済 109.マルクスは政治でも文化でもなく、もっぱら経済こそが、要するにカネの問題こそが人間を方向づけてきたのだと喝破した人です。 (資本主義からの逸脱。資本主義という構造に支配されるのではなく、全ての個人が自分の意思で動ける社会を取り戻すことを掲げたのが共産主義だが、いまだに実現には至っていない) 113.同じ土俵、同じ基準でみんなと競争して成功しなければという強迫観念から逃れるには、自分自身の成り立ちを遡ってそれを偶然性へと開き、たまたまこのように存在しているものとしての自分になしうることを再発見することだと思うのです。 ❺精神分析と現代思想 [ラカン,ルジャンドル] 115.精神分析批判というか、精神分析の胸を借りるようなかたちで自分の意思を形成しているという面が現代思想にはあるのです。 (精神分析がダメという訳ではなく、精神分析を批判的に見る視点からの気付きがあるということ。そもそもの精神分析の意義も侮れない。) 116.人間は過剰な動物である 117.「人間はエネルギーを余している」 (料理や性行為など、生存のための必要性を超えた多様化が起こっている) (人間は、本能[固定的]と制度[別用的]、二つの自然を持つ) (人間は、脳神経的に過剰な能力を持っている。多くの動物は成体に近い形で生まれるが、人間は未完成な状態で生まれる。赤ちゃんはそのエネルギーの過剰さから、生まれてすぐは自由に世界を認識することができないが、そのエネルギーを制限し、整流していくというのが人間の発達過程。) 120.教育とはまず、制限なのです。その最初にして最大の行為が、自分が名前で呼ばれ、そして周りのものの名前を教えられることです。 (意味の固定化をすることで、エネルギーの運動を制限し、活用できるようにしている。広義では、社会もこれの拡大解釈と言える。不安やカオスを制御するために、政府による統治がなされている。統治が必要ないとは言わないが、それを自覚[脱構造]していくことが求められる。) ○ラカン- 主体化と享楽 主体化: 人間の限定化、有限化 享楽: 死の偶然性と隣り合わせであるような快 [死の欲動] (快は2種類あり、一つが緊張の弛緩、安心。もう一つが偶然性の中で感じるスリルであり、不快と快の中立。二つ目の方が根本的な快) (子どもの生育には、概念的に次の三者で構成される。子ども[自己]、母[偶然性]、父[第三者]) (生まれすぐは、母子一体であるが、父の介入[去勢]によって子どもは自立していく。) 125.母の欠如を埋めようとするのが人生(欲望)です。 125.ラカン理論は、/何らかの対象a(欲望)を仮に手に入れたとしても、本当の満足には至らないということを強調します。/ もし何か手に入って、「よし、これで人生の目標が達成されたぞ」となったら、その後生きていく気力がなくなってしまいます。結局、何らかの対象aを手に入れては裏切られるということを繰り返すことによって人生は動いていくのです。こういうロジック自体をメタに捉えることによって、欲望を「滅却する」方向に向かうのが仏教的な悟りなのでしょう。 126. 想像界(イメージの領域。生まれたての思考) 象徴界(言語の領域。大人的思考) 現実界(認識から逃れる領域。もの自体) ○ルジャンドル- ドグマ人類学 132.名前とはドグマ(断定されたもの)です。 (子どもがまだ一人で生きられない時に、名前やルールや仕組みといったドグマをある種「しつけ」られる、去勢によって秩序が組み立てられていく) 133.ルーティン作成としての秩序化、それは人間が「本能で動く動物になり直すこと」/第二の自然をつくるわけです。 133.人は規律訓練を求める。なぜか。認知エネルギーが溢れてどうしたらいいかわからないような状態は不安であって、そこに制約をかけて自分を安定させることに快があるからです。 134.人間は過剰な存在であり、逸脱へと向かう衝動もあるのだけれど、儀礼的に自分を有限化することで安心して快を得ているという二重性がある。 (どんなことでも、このエネルギー解放と有限化が同時に起こるという事[儀礼]を意識する事で、ファッション、芸能、政治、いろんなことをメタ認知できる。) 134.そして、儀礼とは去勢の反復だと言えます ❻現代思想の作り方 (有名な思想は次の手順で作られている) ⑴他者性の原則、前提からの排除の発見、課題 ⑵超越論性の原則、他者性に向き合う、解決策 ⑶極端化の原則、大袈裟にやり切る、スケール ⑷反常識の原則、当たり前の背後にある常識 ○142.デリダ- 原エクリチュール ⑴逆張り(脱構築、二項対立のマイナス) ⑵エクリチュール(書き言葉)への疑問 ⑶その疑問の拡大解釈 ⑷二項対立に対する半常識的な帰結 のように新しい思想が展開された ○149.マラブー- 形態の可遡性 ○150.メイヤスー- 絶対的な実在とその変化可能性 (どちらも、「全てはエクリチュール的であり、差異である」というと構造主義に対する逆張りを始点としている) ❼ポスト・ポスト構造主義 155.デリダは2004年に亡くなりましたが、デリダの死を持ってフランス現代思想の黄金時代は終わったと言ってよいのではないかと思います。 (6章のマラブーやメイヤスーが、ポストポスト構造主義にあたる。) 157.(デリダらの、ポスト構造主義[近代思想]に)共通して問題とされているのは、「これが正しい意味だ」と断定できず、つねに視点のとり方によって意味づけが変動するという、意味の決定不可能性あるいは相対性です。 (これが悪いということではなく、ただ物事が複雑で、多義的、両義的であるということ) (これの逆張りとしてメイヤーは「意味づけ」を重視した。特に数学を持ち出し、客観的に、事物が何であるかを直接言えると主張した) (メイヤーは客観的評価を重視すると同時に、やはり、必然性[同一性]はないと主張する) (現代思想は、意味の完全な固定はされず、意味の逸脱により多様化が進むという立場) ↓↓ 160.「確かに客観的事実というものはあるのだが、客観的事実の客観性を突き詰めるならば、客観的事実は根本的に偶然的なものであり、いくらでも変化しうる」 160.メイヤスーは、ポスト構造主義の相対主義に対する逆張りによって、かえってより深い相対主義を提示している 169.(フーコーの)古代的な=オルタナティブな有限性を生きるという生き方 (近代では、人間の過剰さにより、無限性ある解釈がなされがちだが、古代の人の生き方のように、「できる限り悩まない」という生き方もある。) (やることだって言ったら無限だけど、タスクとして箇条書き[有限化]してあげた方が頑張れるよって話) 170.身体の根底的な偶然性を肯定すること、それは、無限の反省から抜け出し、個別の問題に有限に取り組むことである。 (本書、近現代の哲学者の教えをまとめると上述の文になる。人間の身体は病むし老いもする。今を生きるしかない中で、偶然の産物である自身に、必然性やアイデンティティを求めてもキリがない。過去に囚われる必要もなく、今ここで何をするか次第。気楽に頑張れ。) (↑というのが紹介されている近現代哲学者に通じて主張されているメッセージ) ○現代思想の読み方 173. ⑴概念の二項対立を意識する ⑵固有名詞や豆知識的なものは無視して読み、必要なら後で調べる ⑶「拡張高い」レトリックに振り回されない ⑷原点はフランス語、西洋の言語だということで、英語と似たものだとして、文法構造を多少意識する 186.昔の人文的な書き物では、学問であっても格調が求められた ○終わりに- 秩序と逸脱 193.(現代思想理解が飽和し固まっていた)それは限界でもあり、/ともかくその理解を外部化する=書いてしまう必要がある、と思ったのです。 ※入門書 ・川泰久・堀千晶『ドゥルーズ キーワード89』(せりか書房)』 ・フーコー『監獄の誕生(1975)』『性の歴史Ⅰ 知への意識(1976)』 ・慎改康之『ミシェル・フーコー──自己から脱け出すための哲学』(岩波新書) ・原和之『ラカン』 ・向井雅明『ラカン入門』 ○片岡一竹『疾風怒濤精神分析入門』 ○松本卓也『人はみな妄想する』 ・『私たちの脳をどうするか』 ※推薦書 ・檜垣立哉『ドゥルーズ──解けない問いを生きる』(ちくま学芸文庫) ・國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書) ・宇野邦一『ドゥルーズ 流動の哲学』(講談社学術文庫) ・ピエールバイヤー『読んでない本について堂々と語る方法』 ・今村仁司『現代思想を読む事典』
ひろきさんの感想・評価
無駄なことを書いていない、読み応えのある本。二項対立を考える上で、具体と抽象の横断力が求められると感じる。以前から気になっていた「具体⇄抽象トレーニング(細谷功)」を読みたくなった。 ゼミでのディベートの総決算をしてる気持ちになる内容だった。本書は明確に哲学に寄せて考えるものだが、思考鍛錬として発想を広げられるよい機会になった。 ーーーーーーーーーーー 哲学用語は、日本語訳の仕方に問題があるように思う。脱構築論とかではなく、対立論や二分論などと表した方が幾分か理解されやすいように思う。現代はともかく、当時は排他的だなあと感じる。 同時に、筆者は哲学者は格調が求められた、としており、そもそも哲学書は文学として接するのが正解かもしれない。 123.子どもの生育から見るに、人は根源的にはマゾヒスティックということ?スリルに快を覚えているから、ホラーなどを見てしまうのかもしれない。
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