ドナウよ、静かに流れよ
大崎 善生
文藝春秋
2006年06月09日頃
概要
ドナウ川で邦人男女が心中…その小さな新聞記事が頭から離れなくなった私は、二人の足跡を追ってウィーンへと向かった。もはやこの世にいない19歳の少女、日実は、異国の地でどんな恋をし、何を思い、そして何ゆえに追いつめられていったのか?悲劇的な愛の軌跡を辿る、哀切さにみちたノンフィクション。
ステータス
読んだ
メモ
2001年の8月、ウィーン近郊のドナウ川で邦人男女が心中自殺を遂げたというニュースを筆者の大崎善生は新聞で目にする。とても熱い夏であっ た。大崎は、どうしてもそのニュースが気になって仕方ない。 2人は19歳のワタナベ・カミと、33歳のチバノリヒサ。つてを頼り、複数のジャーナリストから情報を仕入れる。大崎は、身投げした女が自分の知人である渡辺マリアの娘、渡辺日実(ワタナベカミ)であることを知る。また、その恋人千葉師久に関する悪評も。 新聞社や週刊誌の情報だけではどうしても納得…
2001年の8月、ウィーン近郊のドナウ川で邦人男女が心中自殺を遂げたというニュースを筆者の大崎善生は新聞で目にする。とても熱い夏であっ た。大崎は、どうしてもそのニュースが気になって仕方ない。 2人は19歳のワタナベ・カミと、33歳のチバノリヒサ。つてを頼り、複数のジャーナリストから情報を仕入れる。大崎は、身投げした女が自分の知人である渡辺マリアの娘、渡辺日実(ワタナベカミ)であることを知る。また、その恋人千葉師久に関する悪評も。 新聞社や週刊誌の情報だけではどうしても納得できぬ筆者は、渡辺マリアとその夫渡辺正臣を訪ね、正式な取材を行い、書物としてまとめようとする。なぜ、渡辺日実は19歳という若さで身を投げようとしてしまったのか。 新聞の記事ではたった数行にまとめられてしまうこの事件への違和感から、筆者は千葉の生家をも訪ね、やがてニース、ウィーン、ルーマニアのクルージュ・ナポカ、そしてドナウ川流域に2人の足取りを辿る取材を行う。 取材の中で19歳という短い日実の人生の中の、彼女と、そして彼女の周囲を辿る喜び悲哀を巡って行く。 日実は2000年5月に小笠原一也という友人を暴走族からの暴行によって失っている。また、彼女の父親正臣はマリアと熱愛をする前に、別の女性と結婚し、子供を儲けていた。マリア自身とても激昂しやすい性格であり、日実を目の前にした渡辺家の夫婦の諍いは、とても激しいものであった。そのため、日実はとても感情的に不安定な傾向があり、恋愛について不審を抱き、生については不安を感じていた。日本にいる時の日実には北野智也という彼氏がいたが、多くを求めるあまり、長くは続かなかった。北野と付き合っている最中にも、いつも日実は「19歳で死ぬ」と漏らしていた。 2000年9月に日実はルーマニアに留学する。トランシルバニア州の古都クルージュナポカであった。ルーマニア留学時代の日実の知人、加藤への取材から日実はとても不安定な留学生活を送っていたこともわかる。東京を離れ、1人東欧のアパートに暮らし、また両親が多大な豪華すぎる住環境を与えていたことも。何かが地に足がついていない留学生活であった。また留学自体も日実の望んだものではなかった。 日実の交際相手である千葉師久の日本での痕跡を筆者は辿ろうととするがうまくいかない。都内の本籍地練馬区を訪ねるが、千葉がかつてそこに住んでいたという家は既にない。町人から、千葉の父が不動産経営で羽振りが良かったこと、弟と妹がいること、幼き頃より激昂すると手がつけられず、性格障害の診断を受けていたことを知る。クラシック業界の知人からは、彼が指揮のほぼ素人であることや、経歴が当てにならないこと、妄想癖・虚言などの問題行動のある人間あったことも知る。 ルーマニアで出会った日実と千葉は共に暮らし始めるが、周囲から孤立するようになる。千葉の妄想癖や虚言症の影響もある。再三の日実の両親の忠告も逆効果になり、連絡もとれなくなっていく。心配になり、渡欧したマリアから見れば、日実は千葉に支配されているようであった。やがて日実と千葉はルーマニアを離れ、スイス、そしてフランスへと逃げるように移っていく。 マリアと正臣は、後悔してやまない。どこかのタイミングで2人を受け止めていれば。日実を無理やり帰国させていれば。あるいは、日実の友人たちに渡欧してもらい、日実を支えて貰えば。無限の無数に連なる「もし」と後悔。 一度フランスで別れた日実と千葉は、ウィーンで再会することになる。筆者はウィーンでの2人の痕跡も辿る。新聞で最初に報じた新聞社、そして処理にあたった警察。日実と千葉が最初に滞在したペンション。日実が働いた日本料理店。千葉が入院したと思われる病院。2人が遺書とパスポートを残した教会。そして2人が身を投げたと思われるドナウ川に架かるシュヴェーデン橋。筆者は全て訪ねて、2人の痕跡を辿っていく。日実は、日本料理店「和亭」では必死に働いていたという。彼女は悲嘆にくれる生活を送るのではなく、希望に満ちた表情で過ごしていたという。 次に大崎は、ルーマニアに飛ぶ。最初に日実と千葉が出会った国だ。ルーマニアに向かう列車はまず異質だった。どうにも雰囲気が良くない。クルージュの日実のアパートも寂しいものであった。重苦しい東欧の雰囲気。1人きりの豪奢なアパート。もの悲しさと寂寥感のある光景だった。しかも、チャウシェスクの独裁政権が終わってから、間も無くの時代でもあり、治安も悪い。ここは19歳の女性が過ごすにはあまりにもきつすぎる。濃密すぎる感情に巻き込まれて、筆者はクルージュを出る。ウィーンに帰った大崎は、ディコヴィッチ美香と話をする。日実と千葉と最後の日々を支えてくれた日本人女性である。献身的に2人を支えてくれた美香は、2人の関係性に愛情の深さを感じていた。 2001年、7月30日、2人はドナウ川に入水する。英語と日本語で書かれた遺書を残して。英語では人々に感謝と、日本語では、両親に対する罵りの言葉を書いていた。後日父親である正臣は、その罵りの言葉に逆に甘えん坊の娘の気持ちを感じたという。 筆者は最後に、ドナウ川の日実の遺体が流れ着いた場所を訪れる。ドナウよ、静かに流れよ、と。 命を捧げて人を守ろうとした日実の清らかな心が、きっとどこかに流れて行くことを祈って。
薄雪さんの感想・評価
大崎善生さんのノンフィクション。昨年8月に大崎善生さんが亡くなっていたことを今更ながらに知ったので、再読させていただきました。 2001年の8月、ウィーン近郊のドナウ川で邦人男女が心中自殺を遂げたというニュースを筆者の大崎善生は新聞で目にする。とても熱い夏であっ た。新聞の記事ではたった数行にまとめられてしまうこの事件への違和感。大崎は、どうしてもそのニュースが気になって仕方ない。 2人は19歳のワタナベ・カミと、33歳のチバノリヒサ。 つてを頼り、複数のジャーナリストから情報を仕入れる。大崎は、身投げした女が自分の知人である渡辺マリアの娘、渡辺日実(ワタナベカミ)であることを知る。また、その恋人千葉師久に関する悪評も。新聞社や週刊誌の情報だけではどうしても納得できぬ筆者は、渡辺マリアとその夫渡辺正臣を訪ね、正式な取材を行い、書物としてまとめようとする。なぜ、渡辺日実は19歳という若さで身を投げようとしてしまったのか。 筆者はやがてニース、ウィーン、ルーマニアのクルージュ・ナポカに2人の足取りを辿る長い取材を行い、日実が心中しようとした経緯を丹念に辿ろうととする。最後には、ドナウ川の日実の遺体が流れ着いた場所を訪れる。 大崎善生さんの訃報に際して一番最初に思い出したのは、このノンフィクションでした。 この本の中で大崎さんはこの痛ましい事件のレポートにおいて、誰かを悪者にしようとはしていません。また、興味本位な事件としても描かず、亡くなった2人に対する誠実さを感じさせる「物語」として描こうとしています。 大崎さんは最後にこのように綴っています。 ドナウよ、静かに流れよ、と。命を捧げて人を守ろうとした日実の清らかな心が、きっとどこかに流れいくだろうことを祈って、と。 他の小説にも垣間見える、大崎さんの真摯さが伺えます。 この場で大崎さんのご冥福を祈り、また感謝を捧げたいと思います。たくさんの素敵な本をありがとうございました。
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