薄雪街とその不確かな壁(下)
街とその不確かな壁(下)

街とその不確かな壁(下)

村上 春樹

新潮社

2025年04月23日

概要

〈夢読み〉として幻想の街にとどまるのか、〈影〉を取り戻して壁の外に立ち戻るのかーー孤独な心を抱えながら現実世界で四十五歳になった主人公の「私」は、ある夜の夢に導かれ、会津の山間(やまあい)の小さな町に向かい、図書館長の職に就いた。ベレー帽にスカート姿の前館長子(こ)易(やす)老人の幽霊、“街”の地図を携えた“運命の少年”の出現……魂を深く静かに揺さぶる村上文学の迷宮へ。

ステータス

読んだ

薄雪さんの感想・評価

村上春樹の『街とその不確かな壁』です。 村上春樹の近年の作品を読むのは久しぶりです。 第一部、第二部、第二部(承前)、第三部の4つの部から物語は成り立っています。 下巻は第二部(承前)と第三部です。 第二部(承前) 「私」は子易さんの墓に足繁く通うようになります。間もなく、「私」は駅近くの小さなコーヒーショップに立ち寄るようになります。いつもコーヒーとブルーベリー・マフィンを注文する「私」に、店主の三十代の女性が声をかけます。二人は自然に会話を重ね、親しくなっていきます。彼女は二年前に離婚し、札幌から福島に移り住み、心機一転でコーヒーショップを始めた女性です。感じの良い顔立ちで、穏やかで皮肉っぽい唇が印象的です。二人は関係を深めていきます。 また、図書館に毎日通うサヴァン症候群の「イエロー・サブマリンの少年」と出会います。少年はイエロー・サブマリンの絵のついたヨットパーカを着て、図書館の本を驚異的な速さと記憶力で読み尽くします。彼はなぜか自ら描いた例の「街」の詳細な地図を「私」に手渡し、「その街に行かなくてはならない」「〈古い夢〉を読む。ぼくにはそれができる」と言い、影を棄てて壁の内側に入りたいと強く望みます。少年は街の壁が「終わらない疫病」を防ぐために作られたことなども語ります。 少年は地元の家族のもとで暮らしていますが、コミュニケーションに大きな困難を抱え、学校生活にも適応できず、家族とも十分に心を通わせられていない様子が描かれます。少年はある日、神隠しに遭ったかのように忽然と失踪します。 一方、子易さんは徐々に姿を現さなくなり、最終的にロウソクの灯のような形で現れ、穏やかに別れを告げて消えます。 「私」はコーヒーショップの女性とデートを重ね、関係を深めます。「私」は彼女の家や自分の家で一緒に時間を過ごし、食事を作ったり、ワインを飲んだり、音楽を聴いたりする穏やかな交流を続けます。彼女は二年前に離婚し、札幌から福島に移り住んで心機一転で店を始めた女性で、過去の結婚生活での出来事や心の傷を抱えています。特に、性行為を受容することが難しいという問題を「私」に打ち明けます。「私」は彼女の気持ちを尊重し、「待っていても構わないかな?待つことには慣れている」と告げます。あるいは、「私」は彼女を待っていたのかもしれない、と感じます。 第三部 舞台は再び「壁に囲まれた街」へと移ります。第一部で街に留まることを選んだ「私」は、図書館で「夢読み」の仕事を続けています。16歳のままの「君」と一緒に働き、静かな日常を送っています。ある日、「私」は川の向こう側に不思議な少年の姿を見つけます。少年はイエロー・サブマリンの絵のついたヨットパーカを着ており、こちらをじっと見つめています。街の他の住民たちは少年の存在に気づかないようです。 少年は何度か同じ場所に現れます。やがて少年は夢の中で「私」に語りかけ、二人が「一体化」する必要があると告げます。 少年は「古い夢」を読む能力を持ち、「夢読み」としての「私」の後継者になると宣言します。そして「夢読み」の仕事を引き継ぐために「私」と一つになることを求めます。 二人は一体化し、少年とともに「夢読み」の仕事を続けます。その後、少年は「私」に「あなたがここを立ち去る時です」と告げ、「私」は街を去り、現実世界に戻るべきだと促します。 「私」は少年に「夢読み」の仕事を託し、16歳の女の子にさよならを告げます。こうして「私」は街を離れ、現実世界へと帰還します。  暗闇が降りた。それはなにより深く、どこまでも柔らかな暗闇だった、と。 この作品を読むにあたり、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読み直しました。 だいぶ文体なども変わってきている気がします。 『世界の終わり』のときより、文章量は減っているんですよね。そして、情景描写も『世界の終わり』のほうが美しかった。村上春樹も少し変わってしまった?それはそう、村上春樹も70歳を超えたのだから。でも衰えではないと思う。 いずれの作品も、本当の自分と現実の自分をどう扱うか、みたいなことがテーマになっています。 本当の自分の柔らかい心の部分を壁で囲んだ世界に逃げ込むか、あるいは現実で向き合うのか。 それは必ずしも二項対立的なものではないかもしれない。けれど、『世界の終わり』の作品では、最後「影」は現実の世界に戻るけれど、本当の自分は壁の中に残ってしまった。いわば少し退避的に、作品の中で描かれています。 対して、『街とその不確かな壁』では最後に「私」は元の世界に戻ろうとします。好きになりかかっているコーヒーショップの女性のためかもしれない。たぶん、居場所をみつけられそうになったからなんじゃないかって、私は考えています。 村上春樹は『世界の終わり』には書き残したことがあったため、この作品を書いたと述べています。70歳を過ぎた今。元の世界、現実に戻る話をそんな作家が描く。 確かに文章量は減ったかもしれない。情景描写も従来と変わってしまった。それでもこれは村上春樹という作家の一つの(成熟を超えた)結実なんじゃないでしょうか。

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