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オリンピア

オリンピア

沢木耕太郎

集英社

2007年07月

概要

1936年8月、ナチス政権下のベルリンで第11回オリンピックが開催された。ヒトラーが開会を宣言し、ナチスがその威信を賭けて演出した。その大会を撮影し、記録映画の傑作『オリンピア』二部作を生み出した天才レニ・リーフェンシュタール。著者は彼女にインタビューを試みる…。運命の大会に参加した日本選手団をはじめとする多くのアスリートたちの人生をたどる長編ノンフィクションの傑作。

ステータス

読んだ

メモ

・田島直人がリーフェンシュタールの通訳をしたことがある。西田修平と大江季雄が銀と銅のメダルを半分ずつにした友情のメダル。そのシーンは映画では翌日に撮り直した。当時のフィルムではライトなしに夜間撮影は出来なかった。 ・バロン西竹一の1932年ロサンゼルス五輪での金メダルは欧州の強豪の参加がほとんどない中でのことだった。 ・吉岡隆徳の愛称「暁の超特急」は読売新聞記者の川本信正が付けた。夜が明け切ると普通の急行になってしまうように、抜群のスタートダッシュが最後まで続かないという皮肉…

・田島直人がリーフェンシュタールの通訳をしたことがある。西田修平と大江季雄が銀と銅のメダルを半分ずつにした友情のメダル。そのシーンは映画では翌日に撮り直した。当時のフィルムではライトなしに夜間撮影は出来なかった。 ・バロン西竹一の1932年ロサンゼルス五輪での金メダルは欧州の強豪の参加がほとんどない中でのことだった。 ・吉岡隆徳の愛称「暁の超特急」は読売新聞記者の川本信正が付けた。夜が明け切ると普通の急行になってしまうように、抜群のスタートダッシュが最後まで続かないという皮肉も込められていた。 ・6位だったロサンゼルスから一転、ベルリンで吉岡は2次予選で敗れる。帰りの船では親友の佐々木吉蔵が吉岡の投身自殺を恐れて寝ずの番をするほど深刻なノイローゼ状態に陥った。 ・ベルリン五輪、選手に日本食や檜づくりの浴槽が用意されていた。 ・ベルリン五輪の新聞報道では無線電送写真が実用化された。ロサンゼルス五輪馬術の西竹一が優勝した時は想像画を載せていた。 ・東京ベルリンの無線電送開設費用は逓信省と日本電気と同盟通信が共同出資。1日2カットの写真配信。 ・日本放送協会アナウンサーが実感放送を編み出した。競技場で競技を記憶、記録してスタジオに入り、再現して喋ったものを日本に送った。100メートル競走が30秒かかったり? ・ベルリンに向かうシベリア鉄道の車両ではシャワー室があったが、料金が高額。水上の女子選手はベルリンに到着すると休息も取らずプールへ。旅の垢を落としたかったからだった。2022/02/28 21:39

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